「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」 杉山清貴&オメガトライブ

前回に続き、オメガトライブです。
前回も語った通り、良きにつけ悪しきにつけ、ボーカルの色でバンドが決まってしまう、バンド自体の主張があまり感じられないのが特徴だったと思えます。

さてこの曲は、彼らの5枚目のシングルで、デビューからちょこちょことヒットはしているものの、この曲はCMとのタイアップもあって、彼らに取って最大のヒット曲で、38万枚売れたそうです。
正式タイトルは結構長いです。

作詞:康珍化、作曲・編曲:林哲司、当時のヒットメーカーですね。
JAL側から指定されたキャッチコピーを入れ込み、ほぼ1日でできた曲のようで、コンサートツアーを回っている彼らが1日だけ東京に戻ってレコーディングしたそうです。
杉山清貴は移動中に歌詞を覚えたとのことですが、他のメンバーがいつ練習したのかに興味があります。

曲のリリースは1985年3月。
私が高校を卒業して、大学の進学を控えていた時期(合格発表前)になります。
「JALPAK’85」のキャンペーンソングで夏にバンバン掛かっていた印象が強いですが、実は春先のかなり早いタイミングで出ていたことを確認し、驚いています。

さて、大学に入学して、4年生の先輩に杉山清貴に似た人がいました。
単に同じような髪型で、同じようなサングラスをいつもしていたというだけで、素の表情は全く別人でしたが、本人は意識していたようでした。
今でも、杉山清貴の曲を聴くとこの先輩のことを思い出します。

この原稿を書くためにいくつかサイトで情報を調べていたら、バンドに夏のイメージが強く付き過ぎるのを杉山が嫌って、バンドを離れたとの記載がありました。
当時はまったく分かりませんでしたね。

そして、杉山清貴が抜けたオメガトライブは、その翌年にカルロス・トシキをボーカルに加えて、「君は1000%」で注目され、「アクアマリンのままでいて」へとヒットを続ける(この間にも曲はありました)ものの、それ以降は第一線から消えてしまいました。
3人目のボーカルにより再起を果たすものの、それ自体を知らない人も多いと思います。

やがて、夏のバンドとして登場して来たのが、ご存知、「TUBE」ですね。
この話は、またいずれの機会に。

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